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大阪地方裁判所 昭和49年(ヨ)3807号 決定

債権者

阿部英祐

右代理人弁護士

佐野喜洋

債務者

株式会社競馬ファン

右代表者

野辺好一

右代理人弁護士

清水幸雄

主文

債権者の請求を却下する。

訴訟費用は債権者の負担とする。

事実《省略》

理由

一債権者が別紙目録(一)に示す本件登録商標について登録第一〇三八二六〇号の商標権(昭和四五年二月二四日出願、同四七年九月七日公告、同四八年一〇月一五日登録、指定商品、新聞、雑誌)を有すること、債務者が判紙目録(二)に示すイ号商標を新聞の題号に用いていることは当事者間に争いがない。〈注、目録省略〉

二イ号商標を本件登録商標と対比するに、両者はいずれも左から横書きで「競馬ファン」と記載された文字商標であつて、イ号商標は、黒地に白抜きで「競馬ファン」の文字を現わしてあり、そのうち「ファン」の文字がゴジック風で書かれた「競馬」の文字より大きく且つ筆記体風で表現されているのに対し、本件登録商標は同一の大きさで筆記体で横書きされている外観上の差異があるが、称呼、観念は両者同一であり、イ号商標は本件登録商標に類似するものと認めるべきである。

三そこで、債務者主張の抗弁について考察する。

〈書証〉によると、つぎの事実が認められる。

「競馬ファン」の文字を題号とする刊行物は、大正一五年Iが東京で競馬界のニュース、論評、解説、勝馬検討を内容とした月刊誌として発刊したのが最初であり、その刊行物は勝馬の検討、予想に主力を置いた特色が競馬愛好者の人気を得、競馬の隆盛と共に発行部数は二、〇〇〇部から最高五、〇〇〇部にも達し驚異的な記録となつていたこと、ところが、昭和一五年頃に戦局の重大化に伴い言論、出版について統制が行われ、競馬雑誌がすべて廃刊を命ぜられたので、同年六月限り「競馬ファン」誌も休刊のやむなきに至つたこと、しかし、終戦直後昭和二一年一〇月競馬が復活すると共に「競馬ファン」との題号の刊行物が大阪で復活し、Iが故人になつていたので、戦前同誌の関西支局の担当者Kが経営者となり、新聞形式で各開催日に発行された。他に復活競馬に関し、「競馬ブック」、「競馬ニホン」、「競馬ダービー」、「競馬ニュース」などの題号の競馬新聞が発刊されたが、戦前から刊行されていた「競馬ファン」との題号の新聞が人気を呼び、その発行部数は、五、〇〇〇部にも達し、当時としては業界の約五〇%のシェアを占めていたのであるが、その後Kの経営上の事情で低調となつたので、昭和三四年八月、債務者の代表取締役であるNが、「競馬ファン」の営業、商標を承継し、昭和三八年には発行部数も三、〇〇〇ないし四、〇〇〇部位に復調し、開催日には一日も休むことなく発行して来たこと、昭和四三年九月株式会社TがNから「競馬ファン」の営業権と商標を譲り受けたが、競馬開催日には毎日その新聞の発行を続けその発行部数は、昭和四三年一〇月から同年一二月までは七一、五八〇部、昭和四四年中は二八六、三二〇部、昭和四五年一月から同年六月までは三二九、七六〇部であつで、本件登録商標出願日たる昭和四五年二月二四日には「競馬ファン」の発刊は創刊号より第三二四二号を重ねていたこと、当時同新聞が掲載の対象とする関西地区中央競馬は、京都、阪神、中京、小倉の競馬場で開催され、年間回数は京都、阪神が各五回、中京が四回、小倉が三回で合計十七回、いずれも開催期間は八日間で合計一年に一三六回であるが、各開催日には毎日「競馬ファン」の新聞が発行されていたこと、その後も右発行は続けられ、その発行部数は昭和四六年中は五八四、六四〇部、昭和四七年中は八二八、〇〇〇部、昭和四八年中は一、五六〇、九六〇部に達していたが、昭和四八年一一月に対外的事情からNが代表取締役となつて債務者会社(株式会社競馬ファン)を設立し、右新聞の営業、商標を引き継いで発行を続け、昭和四九年一月から同年一二月までの発行部数は一、三二九、一二〇部であり、その刊行は現在なお続けられていること、「競馬ファン」の題字の表現は多少の変化を経て現在の「イ号商標」に至つているが、文字商標としては同一性が認められるものであること。

以上の事実が認められ、右認定に反する疎明はない。

以上の認定事実によると、「競馬ファン」なる題号の刊行物は大正十五年から現在に至るまで戦時中の約六年間の休刊を除いては約四〇年の長きに亘り、発行が続けられて来た結果、本件登録商標の出願時には、「競馬ファン」なる題号の新聞は少くとも関西地区の中央競馬の関係筋やファンの間では周知であつた事実を認めるに十分である。

債権者は、「周知の有無の判定時である昭和四五年二月二四日以前の発行部数が債務者主張のとおりであるとしても、昭和四四年一月から一二月までは僅か二八六、三二〇部であり、これは西日本ブロックで年一七回、のべ一三六日の開催日割にすると一日の発行部数は二、一〇五部にすぎず、売上部数を約五割と計算すると西日本ブロック全体で僅か一、〇〇〇部余にしかならない。ちなみに、たとえば、小倉競馬場において開催される場合、開催地以外の西日本ブロックにおいても馬券は発売される例となつているから、一地区割にすると二〇〇部にしかならないことになる。昭和四五年の一月から二月二四日までを検討してみても大同小異である。右は昭和四四年の日本中央競馬会公報による関西開催分の競馬場入場者数約四、二三四、八七二人、推測される場外人数約三、二八六、〇〇〇人の合計七、五二〇、八七二人よりしても二八六、三二〇部という発行部数は対顕在競馬人口比約3.8パーセントにすぎず、推測される売上部数を約五割とみれば、1.93パーセントにすぎない。更に潜在競馬人口を加えた競馬人口に比べれば、僅か0.96パーセントにすぎない」旨主張する。

競馬新聞の売上部数は通常発行部数の何割位であるかはこれを認めるべき疏明はないが、かりに債権者主張のとおり五割位が普通であり、競馬人口数が債権者主張の如きものであるとしても、この事実は、「競馬ファン」なる題号の競馬新聞が発行されて来た期間、その間の発行部数などに徴してなした前記「競馬ファン」の新聞が本件登録商標出願時周知であつたとの事実認定を左右するものではない。

そうすると、債務者はその発行に係る新聞についてイ号商標の使用をする権利を有するといわねばならない(商標法第三二条)。

以上によれば、債務者が「競馬ファン」なる商標を競馬新聞に附す行為が債権者の本件登録商標権を侵害するものであることを前提とする本件仮処分申請は失当であるからこれを却下すべく、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり決定する。 (大江健次郎)

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